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東京地方裁判所 昭和42年(行ク)63号 決定 1968年3月08日

申立人

鳥山厳也

代理人

高木義明

被申立人

日本自転車振興会

代表者・会長

新井茂

代理人

風間克貫

外三名

主文

被申立人が申立人に対し昭和四二年七月二六日付でした競輪選手登録消除処分の効力を東京地方裁判所昭和四二年(行ウ)第一四三号行政処分取消訴訟の判決の確定に至るまで停止する。

申立費用は、被申立人の負担とする。

理由

一申立ての趣旨および理由の要旨

申立人は、昭和二八年二月一〇日、被申立人により自転車競技法五条一項に基づき競輪に出場する選手として登録(以下「本件登録」という。)されていたものであるところ、被申立人が、昭和四二年七月二六日付で同法五条二項、競輪審判員、選手および自転車登録規則二一条七号により申立人の本件登録を消除(以下「本件消除という。)し、同年八月一日、申立人に通知したので、同年九月四日、当裁判所に本件消除の取消しを求める訴えを提起したが、右本案訴訟の判決の確定をまつていたのでは、本件消除により回復の困難な損害を生じ、かつ、これを避けるため緊急の必要がある。

すなわち、申立人は、現在三二才でありすでに競輪選手としては最盛期であるから、本件消除の効力が停止されないときは、本件訴訟の判決の確定に至るまでに選手としての脚力やかんが衰え、選手としての能力を失ない、選手として生きる途を閉ざされてしまうか、仮りにそうでないとしても相当長期にわたつて申立人の選手としての生活を奪うことになるので、その間、スポーツを職業とする者がその職業に従事できないことによる精神的苦痛、スターの座と収入源の得喪についての不安焦慮およびこれに基づく練習意欲の減退その他の甚大な精神的苦痛を被ることが明らかである。また、申立人は、収入源としては競技に出場することによる賞金しかなく、これのみによつて生活を維持してきたのであつて、学歴もなく競輪のことしか知らない申立人が他に職業を(しかも、選手としての能力を低下させないための練習と両立しうる職業を)求めることは決して容易でなく、しかも二年有余にわたつて出場あつせんを保留されて収入の途が閉ざされ、以来借財等による生活を余儀なくされているのであるから、本案訴訟の判決確定に至るまで出場できないとすれば、生活の基礎がおびやかされる状態に落ち入ることは明らかである。したがつて、本件消除により生ずる回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるというべきである。

よつて、本案訴訟の判決の確定に至るまで、本件消除の効力の停止を求める。

二被申立人の意見の要旨

1  本件消除により生ずる回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとはいえない。

すなわち、申立人は、その住所地に宅地約一〇〇坪を有し、同地上に約三〇坪の平家建新築家屋を所有し、平均以上の生活をしており、昭和四二年には、電話を設置し、バイクおよび乗用車を購入しており、その生活が窮迫しているものとは到底考えられず、仮りに申立人が本件消除により選手としての収入を失うとしても、その損害は金銭賠償により回復が容易であると考えられるし、また、申立人がその身体、知能に照し、他の職業について家族を養うに足る収入を得ることができることはもちろんであつて、脚力を養うためにも一日早朝僅々一、二時間の練習をすれば足るものと考えられる。このことは統計上選手としての生命は五〇才台まであり、数年出場しなくとも脚力が急速に衰えるというものでもないことに徴しても明らかである。さらにまた、スターとしての地位の喪失という点についても、これは全く主観的なものである。

2  本件消除は適法妥当であつて、本案の請求が理由がないことが明らかである。

すなわち、競輪は本来賭博の一種であるが地方財政の健全化その他の公益の必要上とくに認められているものであるから、その運営に関しては、自転車競走が公正かつ安全に行なわれるよう種々の法的規制および監督が加えられ、自転車競技法五条二項は、「日本自転車振興会は競輪の公正かつ安全な実施を確保するため必要があると認めるときは、命令の定めるところにより、前項の規定による登録を消除することができる。」と定め、これを受けて、競輪審判員、選手および自転車登録規則二一条は、「日本自転車振興会は、選手が次の各号の一に該当するに至つたときは、その登録を消除することができる。」としてその七号に「前各号に掲げるもののほか、公正かつ安全な競走を行なうに不適当と認められる理由があるとき。」を定めている。ところで、申立人には、(1)暴力団員との交友関係、(2)富山競輪における不良走行等、(3)岸和田競輪および伊東競輪における各不良走行、異常売上げ、異常投票等、(4)その他いくたの競輪における異常売上等「公正かつ安全な競走を行うに不適当と認められる」事由があつたので、被申立人は、前記法条により、申立人の本件登録を消除したのであつて、本件消除にはなんらの違法はない。

3  本件消除の効力を停止するときは、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある。

すなわち、前記のとおり、競輪は本来賭博である。競輪場には多数の観客と投票者が集まり、競輪場が独特の雰囲気に包まれていて、ともすれば群衆心理にひきずられた暴発的行動が生じやすく、現に騒擾事件がしばしば発生しており、かつ、申立人には前記のような事由があつて本件消除がなされたのであるが、仮りに右事由がただちに認められないとしても、申立人の走行については、従来から投票者の間にとかくの疑義があつて、その走行に関しスタンドから相当の罵声がとんだような事実もいくつかあるのであるから、本件消除の効力を停止して申立人を出場させるときは、いつなんどき右のような暴発的事故が発生するかもしれず、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるといわなければならない。

4  よつて、本件申立ては却下さるべきである。

三当裁判所の判断

1  本件疎明資料によれば、申立人が年令三二才であつて、昭和四〇年八月一一日付で被申立人によつて出場あつせんを保留されるまで、ランクの高いA級一班の選手としてかなりの成績で活躍していたこと(疎乙第四八号証によれば、昭和三九年において、申立人の賞金獲得額が全選手中一八四位に位するものであつたことが認められる。)、昭和四〇年には一ケ月平均約金三十数万円の賞金収入を得、義父からの借入金にもよつて土地家屋を購入し、妻子らとともに安定した生活を送つていたこと、被申立人の右二年有余にわたるあつせん保留およびその後における本件消除により、申立人が選手として出場することができなくなり、従来の収入を失うに至つたこと、以来、貯金、実弟(競輪選手)の賞金、実父からの送金、義父や叔父からの借入金等によつて同人とその家族の生計を維持してきたが、最近では日常必需品の貸売りを受けているような状況になつていること、義父からの右借入金の返済期限が再三延期されてきたが、最近では、その返済の申入れを受けているばかりでなく自家用車も現在では月賦代金を支払うことすら容易でない状態にあること、申立人が高校二年中退の学歴であり、一七才のときから競輪選手として生活しており、とりたてて特技を有しているわけでもなく、また、商業その他を営む資金の蓄えなどもなく、他の職業に転ずることも必ずしも容易とはいえないこと、競輪選手の最多年令が三四才であり、五〇才台の選手もいるにはいるけれども、申立人のランクされているA級一班の選手は一九才から四〇才の間の者が多く三七才以上はせいぜい一、二名であり、申立人が前示のとおり現在三二才であることを考えあわせると、申立人がA級一班の選手として活躍できるのは、三六才前後までのここ四、五年であり、他の職業に従事しながら練習に励み、本案訴訟で勝訴し、その判決が確定しても、そのときにはもはや従来のような活躍が期待できないことがそれぞれ認められるから、以上の事実を総合して、本件申立は「処分により生ずる回復の困難な損害を避けるための緊急の必要があるとき」に該当すると解するを相当とする。

2  被申立人は、本件消除は適法妥当であつて、本案が理由がないことが明らかであると主張するが、しかし、本件全疎明資料によつても、本件消除が適法であることが明らかであるとは認められず、したがつて、「本案について理由がないとみえるとき」とは解されない。

3  さらに、被申立人は、本件消除の効力を停止するときは、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあると主張するが、右主張事実を推認すべき資料はない。

もつとも、本件疎明資料によれば、従来、競輪場において、観客、投票者の間に毎日いくつかの紛争、騒擾件事(ただし騒擾事件は数年に一回程度である。)が発生し、これら紛争騒擾のうち選手に起因するもの、とくに人気選手の凡走等によるものがかなり多く、騒擾のうちには傷害や物的施設等の破壊に及ぶこともあること、申立人が必ずしも走行状態の良好な選手であるとの定評のある者でないこと等が認められるが、右のように紛争、騒擾の発生とはいつてもそれが申立人の責任に帰せられるべきものであることを推認すべき資料はみあたらないから、右のような紛争、騒擾の事実があつたからといつて、本件消除の効力を停止するときは、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあると断ずるのは正当でないといわなければならない。

四結論

よつて、申立人の本件申立てを正当として認容し、申立費用につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。(杉本良吉 中平健吉 岩井 俊)

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